Stereophonics "You Gotta Go There to Come Back" ―音楽を救いに―
どうも。ながたつです。
今日は少しだけマジメな感じで書こうと思います。
- Stereophonics "You Gotta Go There to Come Back"について
- ”Maybe Tomorrow”の魅力は歌詞にあり?
- ”Maybe Tomorrow”から考える音楽のチカラ
Stereophonics "You Gotta Go There to Come Back"について
今日取り上げるアルバムは、
Stereophonicsの"You Gotta Go There to Come Back"です。
(Stereophonics "You Gotta Go There to Come Back"。2003年発売。4枚目のアルバム。ジャケ写はメンバーの幼少期の写真を用いてるとのこと*1。写真は歌詞カードの随所にも散りばめられている。一部手書きの歌詞もあり、暖かく素朴な印象の外観。)
Stereophonicsは今回初めて聴いたものであまり詳しくありませんが、音楽に造詣の深い知人にこのCDを買った話をしたら「チョイスがシブい」というお言葉をいただきました笑
このバンドを知ったキッカケは、偶然YouTubeのオススメ欄に”Maybe Tomorrow”が出てきたこと。なんとなーく聴いたら、一気にブルージーでセンチなメロディに心を掴まれました。それなりには聴いてきたつもりですが、まだまだいい出会いがあることは本当に幸せです。
そう。僕がこのシブいアルバムから入ったのは、この曲が収録されているから。この曲さえ聴ければ、あとはどうにでもなれ!なんて思っていました笑しかし、この曲はアルバム全体を通して、ブルースの寂寥感とブリットポップのナードさがうまく調和されているいいアルバムでした。他にもいい曲はありますが、今回はこの”Maybe Tomorrow”にスポットを当てたいと思います。
”Maybe Tomorrow”の魅力は歌詞にあり?
ひとまずYouTubeを載せます。これを聴きながら歌詞を見てください。
(※歌詞はアルバム付属の歌詞カードより引用。
和訳はなるべく自力で書きつつ、こちらを参考にしました。)
Stereophonics - Maybe Tomorrow
I've been down and
I'm wondering why
These little black clouds
Keep walking around
With me
With me
僕は沈んでしまっている
そして、どうして小さく黒い雲が
僕につきまとうのか気がかりで仕方ない
It wastes time
And I'd rather be high
Think I'll walk me outside
And buy a rainbow smile
But they're free
They're all free
時間を無駄にしている
もっと高いところに居たほうがマシだった
そう思いながら外へ歩き出して
虹の笑顔を買うんだ
けど、あの雲は自由だったんだ
本当に自由だった
So maybe tomorrow
I'll find my way home
So maybe tomorrow
I'll find my way home
明日になれば
きっと帰り道が見つかるだろう
明日になれば
家路につくことができるだろう
I look around at a beautiful life
Been the upperside of down
Been the inside of out
But we breathe
We breathe
周りの美しい生活を見渡してしまう
どん底から少し上向きになっている
けど、まだ沈んでもいる
それでも息をする
みんな、息をするんだ
I wanna breeze and an open mind
I wanna swim in the ocean
Wanna take my time for me
All me
颯爽と歩いて広い心を持ちたい
広い海の中を泳ぎたい
そして自分のために時間を使いたい
すべて、自分のために
So maybe tomorrow
I'll find my way home
So maybe tomorrow
I'll find my way home
明日になれば
きっと帰り道が見つかるだろう
明日になれば
家路につくことができるだろう
以上、歌詞と自分なりの和訳をつけてみました。実際和訳をしてみると、歌詞とメロディがよく調和されているなと感じます。終始どん底にいるけど、希望を見出している歌詞と、それを端的に示すような切なさの中に馴染みやすさが内包しているメロディ。両者は密接にリンクしています。UKって、絶望的な歌詞に明るいメロディをはめこむシニカルな曲も多い印象を受けますが、この曲はそれらとは対照的です。
歌詞そのものに触れると、悲観的だった主人公の心情の変化を描いているように見受けられます。前向き、とも少し違う「なんとかなる」って気持ちを歌にしたのではないでしょうか。この歌の中では、特に解決していることってないんですよね。絶望的ではないけど明るくはないし、希望はあるけどアクションを起こす気配はない。今日はだめでも、明日にはなにか起こるさ。ってな具合で、「いい加減」な歌詞だと思います。
”Maybe Tomorrow”から考える音楽のチカラ
絶対的な絶望も希望もない。漫然とした不安と楽観。現状を変えたくても、アクションが起こせない。このコントラストは多くの人が自身に感じていることではないでしょうか。この宙ぶらりんな状態が生活の、人生の大半を占め、ごまかしごまかし生きている人が多いことこの上ない。無論、僕もその1人です。音楽のスゴいところって、このような割り切れない気持ちとか、文章にすると長くて分かりづらいことを端的に示し、肯定された気持ちにしてくれるところにあると思うんですよね。
実際、いま僕自身も人間関係や将来のことで不安の中にいます。無気力で、甘ったれて、以前のように踏ん張れない自分がいます。しかし、その中に救いもあります。 その1つが音楽。音楽を聴いたからといって、現状は変わりません。けど、時に少し頑張ってみようかな?とか生きてみようかな?って思わせてくれるのです。音楽がなかったら、僕は今頃どうなっているか分かりません。本当にゾッとします。
このブログを見ている人の中に、「どうも今辛いな〜」と感じる人がいるかも分かりません。そのような方に僕は媚びません。ただ、僕がここで紹介する音楽や、僕なりの見解によって、少しでも「今その場」で気持ちがラクになればいいなと思います。そんな祈りをもって、今日は締めます。