服と音楽と生き方と
どうも。ながたつです。
今日は、服と音楽の話でもしようかと。
音楽とファッション
音楽が好きな人の多くは、ファッションにもこだわっているのではないでしょうか?R&Rが好きな人は革ジャンを纏いポンパドールでキメて、ヒップホップが好きな人はトラックジャケットをセットアップで着たり…(このイメージは古いか笑)
いずれにせよ、音楽とファッションは密接に関わっていることは今更言うまでもありません。また、ファッションは自身の出自やアティテュードを示すものであるという意見も耳目を集めていましょう。すると、昨今ではYouTubeのコメント欄などで、
「カルチャーがバックボーンにない服はダサい。」
などのコメントが見受けられるようになりました。ファッションと他の文化をクロスオーバーさせる姿勢がある程度理解を得ていることは結構なことかと。
しかし、マウントをとり、他人を卑下している人間を野放しにしてよいのでしょうか。たとえば、ココ・シャネルはこのようなことを言っています。
わたしには、羞恥心がある。羞恥心はフランスのもっともよき美徳である。
羞恥心の欠如は、堕落でしかない。
みんなにこの羞恥心を取り返してやりたいものです
羞恥心のある人は、このような行為には至らないと思います。カルチャーをファッションで示す楽しさは分かりますが、他人をバカにしていいかは別の話。このように「堕落」した人がカルチャーを心から楽しめているか、疑問です。
カルチャーってなに?
そもそも、カルチャーってなんでしょうか?たとえば、僕は『さらば青春の光』をきっかけにモッズに憧れ、FRED PERRYを買い集めるようになりました。モッズというカルチャー、生き方に憧憬の念を抱いております。やがて、UKパンクにも傾倒しました。そこで、Joe Strummerの言葉に出会います。
『Punk is attitude, not style(パンクはスタイルなんかじゃなくて、姿勢なんだ)』
そうか。カルチャーとは、その時・その場所で営まれた生活そのものであり、そこから生まれた人々のアイデアや葛藤である、と思うのです。
モッズ・パンク・ロック・ヒップホップetc...これらは音楽のジャンルのみならず、今やそれらの背後にある人々の暮らしをも指す言葉になったと思います。これらは、現代を生きる我々が過去をそのように名付けているに過ぎません。10年もたてば、今だってなにかしらラベリングをされるでしょう。すると、なんとなくの生活や刹那的な流行もやがてはカルチャーと評され、崇める人が出でくるのではないでしょうか。
革ジャンを着て、髪をツンツンにしていればパンク!という人をJoeStrummerは批判しました。また、FRED PERRYを着ていればモッズでしょ?という人物は、当時スティッツと揶揄されていたそうです*1。当時もテキトーに振る舞っていた人は一定数いますが、一部それを崇める未来人が高尚化し、カルチャーと称されるようになったのではないかと推察しております。これもカルチャーの一側面かと。
カルチャーの未来に対する一考察
人間は分けて分かる生き物です。分かりにくいものを好んでいる人に対して、芯がないとかついつい言ってしまうのかもしれません。しかし、それは新たなカルチャーの創出かもしれないと捉えれば面白いですよね。なにがカルチャーとなり、未来の人々が憧れるかはわかりません。なにを好もうと、それがたとえどんなに古いものであろうと、いまと向き合いたいものです。
そんなことを思い浮かべながら、今日はこの曲で締めようと思い〼